公認会計士高橋正哉の実践ブログ

企業のビジョン達成を社外CFOの立場から実現する一方で、独立会計士又は上場企業の社外役員として自らも経営の一旦を担う筆者が、会計・財務の専門分野に限らず、日々の活動から、企業経営や自己成長のヒントとなるような事項・想いを素直に、ありのままに、お伝えすることを目的として綴っているブログです。

2015年01月

多くの人は、

損益計算書で表されている業績

具体的には、

売上高や営業利益、当期純利益の金額に基づいて、

会社の業績を判断しがちであると思われます。


しかし、

ここで注意して頂きたいのは、

あくまでも、

「損益計算書は単年度に発生した
 リターンを表現しているに過ぎない」

ということ。

つまり、

リターンを獲得するための投資額や

過去の投資の成功、

あるいは、

失敗の実績(額)については


損益計算書からは読み取ることは出来ない

ということであります。


では、

どこから読み取るかと言うと

貸借対照表から、ということになります。

投資内容(金額)を見たければ、

資産の内容を見ることになりますし、

過去の投資の成否を見たいのであれば、

利益剰余金の金額を確認することになります。


要は、

単年度の利益や損失の内容から、

この会社は「良い、悪い」と判断するのは、

少々「短絡的」ということになるでしょう。


また、

ビジョンの再設定
経営戦略の立案
人材育成 などの

「根っこ」や「幹」の部分に対する投資のように

波及効果の高い投資については、

成果(リターン)が目に見えるまで

相応の時間を要するものですが、

これらは、

単年度のリターンしか表現されない損益計算書では、

なかなか読み取ることは出来ない情報です。


「じゃ~、どこを見れば良いの?」

ということになりますね。

残念ながら、

これらの情報を決算書から読み取るのは難しく、

結局、自分の目で、耳で、

直接、経営者の方から考えていることをお聞きする

といったことが重要になってくるのです。


となると、

結局、多面的に見ないと、

「会社の強さ」みたいなものは分からないわけですが、

少なくとも、

単年度の業績(リターン)を表現しているに過ぎない損益計算書だけで

判断しない方が良くて、

過去の投資の成否や、どれだけ波及効果の高い投資をしているか

ということもきっちり見た方が良いですよ、

というお話でした。


(まとめ)
■損益計算書は単年度の業績(リターン)を
表現しているに過ぎず、リターンを獲得するための
投資額や過去の投資の成否も分からない。

■また、
波及効果の高い投資については
その成果が目に見える形になる(損益計算書に現れる)まで
相応の時間を要するものである。

■この観点からすると、
ますます単年度の業績を表す損益計算書だけで
「会社の強さ」を判断するのではなく、
貸借対照表はもちろんのこと、
どのような(波及効果の高い)投資を行っているかなど
多面的に見ていくということが大事である。

昨日、

会計ルールに従って集計された

損益計算書の「利益」は「経営者の意見」であり、

「現金のみが現実を映し出す鏡」ということを

お伝えしました(ノキアの言葉を引用)。


「利益=経営者の意見」と表現されるのは、

無尽蔵に存在する全ての取引に対応できるような形で、

会計ルールを策定することは事実上不可能であり、

経営者に一定の裁量の余地を与えざるを得ない

というのが理由。


今日は、

この「裁量の余地」について、

もう少し突っ込んでみることにします。



例えば、

減価償却という制度。

減価償却とは、

固定資産を使用する年数に応じて
費用配分する会計処理の方法


ですが、

何年で償却するかについては、

経営者の裁量に委ねられている部分があります。

これを言うと、

「法人税法上で耐用年数が決まっているではないか?」

という反論が聞こえてきます。

しかし、

税法上の耐用年数は、

あくまでも税金を計算するためのものですので


会計上の「利益」を計算するにあたっては、

これに従わないといけないということはありません。

(むしろ、税法に従うと
 実態から大きく乖離する
 ことがある)

また、

減価償却方法も、

定額法や定率法などの認められた方法の中から、


経営者が「選択」することもできたりします。


つまり、

経営者に選択や判断という形で

一定の裁量が与えられているというわけです。


それから、

より根本的なところ深堀りすると、

会計上の損益は期間を区切って集計することになっているため

「利益は意見」みたいな話になるわけです。


少し分かりにくいですが、

上述した減価償却の制度も

どの会計期間にいくらの費用を認識するか

を決定するためのもの。


つまるところ、

「損益をどの期間にいくら認識するか」

という

「期間配分の問題」

に収斂することになります。


もし、

会計期間を区切ることなしに、

企業を設立してから解散するまでを、

1つの期間として利益を計算するのであれば

期間配分の問題は生じることはありません。

常に、

「利益=手許に残った現金」

という公式が成り立ちますので、

「現金も利益も現実」

ということになるでしょう。


というわけで、

だらだら書いて参りましたが、

申し上げたいことは、

「利益は意見」といく側面もあるのですから、

そのような意識を持って、

決算書を見て下さいね、というお話でした。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。


(まとめ)
■「利益は意見」であると表現されるのは、
会計処理を適用するにあたって、
経営者に一定の裁量の余地を与えざるを得ないためであり、
例えば、減価償却なんてのが典型的なもの。

■また、
より根本的なところにフォーカスすると、
「利益は意見」と表現されるのは
会計というものが「期間配分の問題」を
常に抱えているためであると言える。

■要は、
このような背景を考慮して
決算書の「利益」を見るということも大事。

以前、

「会計はアート的な要素を含む」
http://cpa-tm.ldblog.jp/archives/1012649270.html

の中で、

現状の会計ルールでは、

完全予測が不能な将来のキャッシュ・フローに基づいて、

現在の会計処理(金額)を決めるような場合があり、

会計はアート的な要素を含むのですよー

ということをお伝えしました。


実は、

上記以外にも、

会計ルールの中には

選択や判断の余地のあるものが多く存在してい
ます。

どういうことかと申しますと、

無尽蔵に存在する全ての取引を網羅した

会計ルールを作り出すこと


事実上、不可能であり、

企業にある程度の裁量の余地を残している

(残さざるを得ない)というわけです。


しかし、

この「裁量の余地」というものが曲者なんですね。


これを端的に表した言葉があります。

「Cash is reality,
 profit is a matter of opinion」

日本語訳にすると、

「現金こそが現実を表すものであり、
 利益は『意見』を表すものである」

携帯端末で有名なノキアのTシャツに印字されていた言葉だそうです。

なぜTシャツに印字しようと思ったんでしょうか。


それはさておき、

この言葉は「会計」の実態を物語っているように思います。


裁量の余地のある会計によって導き出される利益というのは、

経営者の意見なのであり、それ以上でもそれ以下でもない。


一方で、

現金は否応なしに現実を映し出すものであり、

そこには一切の裁量はないということです。

だから、

キャッシュ・フロー経営というものが叫ばれたりするのですね。


とは言え、

会計の結果、導き出される損益計算書上の利益は必要ない

ということではなく、

損益計算上の利益とキャッシュ・フローは両輪で考えていくことが重要です。


長くなりそうなので続きはまた。


(まとめ)
■会計は将来CFの見積り如何で金額が
変わったりするものであり、
その意味でアート的要素を含むものである。

■また、
全ての取引を網羅した会計ルールを作ることは
事実上不可能であるため、
経営者側に会計ルール適用にあたっての
一定の裁量の余地を与えている。

■これを端的に表したのが
ノキアのTシャツに印字されていた
「利益は意見」という言葉であり、
そういう意味でいくと
現実はキャッシュで見るのが良い
ということになる。

組織でも個人でも、

日々、意思決定と選択の連続の中で生きていますが、

なかでも、

判断が難しい事項について意思決定を下さなければならない時は

何を拠り所にするのが良いのでしょうか。


勝算でしょうか?
リターンの大きさでしょうか?
費用対効果でしょうか?
リスクの程度でしょうか?
説明責任を果たせるか否かでしょうか?


確かにどれも大事ですよね。

間違いなく大事です。

しかし、

私の経験上で恐縮ですが、

意思決定の拠り所として最も重要視しているのは、

「自分の価値観に照らしてどうか」

ということ。

これを、

企業や組織に置き換えれば、

「理念に照らしてどうか」

ということになるでしょう。


では、なぜ、

自分の価値観を意思決定の拠り所にするのが、良いのでしょうか?


一つは、

「結局のところ最終的な結果は
 分からない(読めない)から」

ということであります。

いくら悩んでも、あがいても、

結果を100%予見することはできませんし、

複雑かつ困難な意思決定では、

あれこれ考えた結果、結局、結論がでない

ということも少なくないように思われます。


そうであるならば、

「後悔しないためには」

という観点から考えるのが良いように思いますが、

その最善策が、

「自分の価値観に従うこと」

ではないかと思うのです。

言い換えれば、

自分の軸はどこにあるかということ。

胸に手をあてて考えてみることが大事なのでしょう。


ちなみに、

「自分の価値観に従う」ということは、

コントロール不能な「他者の課題」に重きを置くのではなく、

「自分の課題」にフォーカスするということでもあります。


結局のところ、

「大切にしている価値観
 を持っているか、そして、
 それが確固たるものか」

というところに行き着くようにも思います。


(まとめ)
■判断に迷うような重要な意思決定を下すような場合、
拠り所がないとなかなか判断できないものである。

■最終的にはどうなるか分からないのだから、
「後悔しない」ことを重要視すべきであり、
それが「自分の価値観に従う」ということであると思う。

■また、「自分の価値観に従う」ということは、
コントロール不能なものに目を向けるのではなく、
「自分の課題」にフォーカスするということでもある。
その発想が大事だとも思う。

世間一般的に

「ピンチはチャンス」

と良く言われたりしますが、

本当にその通りだと思います。


数年前までは、

「ピンチはチャンス」という言葉を、

頭では何となく理解していたものの、

感情レベルではそのように思えない自分がいました。


しかし、

今は「ピンチはチャンス」と心から思えます。

なぜなら、

ピンチに遭遇しないと問題意識を持たないからです。

課題や問題を認識して初めて人は考え始めます。

「考える」ことで新たな歩みが始まります。


このようなきっかけ(機会)がないと、

私みたいな人間は本当に考えませんからね。

だから、

ピンチに遭遇するとワクワクします。

本当に。


もちろん、

最初は落ち込みますよ。

しかし、

考える材料を与えてくれているわけですし、

ピンチは、

「起こるべくして起こるもの」であって、

避けては通れないところもあるように思います。

偶然ではなく必然ということでしょう。


だからこそ、

ピンチを積極的、かつ、喜んで受け入れることで、

その後の結果が大きく変わってくるように思いますし、

人間力(=仕事力)の底上げを図ってくれるとも思うのですね。


極端な話ですが、そういう意味でいくと

自らピンチを招くように仕掛けていった方が良いのかも知れません。
(人に迷惑をかけないことが大前提)


ちなみに、

このように思えるようになったのは、

個々の事象に対する意味付けを行うようになったからであります。


私のように、ネガティブ人間でも、

ピンチはチャンスと思えるようになります。

これは実証済です。

ピンチに感謝。


(まとめ)

■「ピンチはチャンス」とは良く言われることであるが、
頭で理解しているのと、感情レベルで理解できるのとでは
大きな差があるように思う。

■ピンチは考えるきっかけを与えてくれるものであり、
貴重な存在である。ピンチに遭遇することで
新たに歩み始めることができるのではないかとも思う。

■ピンチは起こるべくして起こるのであって、
避けるのではなく、喜んで受け入れることが大事ではないか。

■数年前まではピンチはピンチでしかなかったが、
個々の事象に対する意味付けを行うことにより、
ピンチはチャンスだと思えるようになったのかもしれない。

私は、

半年ほど前からコンサルやセミナーを

積極的に受けるようにしていますが、

これには理由があります。

それは、

「根本的な課題にフォーカス
 するためのまとまった時間を
 確保するため」

というもの。


どういうことかと申しますと、

少なくない方が、目の前のやるべき事に追われて、

「分かっちゃいるけど、
 手が付けられていない重要な課題」

を先延ばし、先延ばしにする傾向がある(ように思う)からです。

私なんかは特にこの筆頭であります(汗)


だからこそ、

(今は予定が
 かなりパンパンな状況ですが)

その予定をこじ開けてまで、

積極的にセミナーやコンサルの予定を入れています。


こうすれば、否応なしに、

重要な課題について考えるようになりますし、

日常の引力から引き離された時間を確保することができます。


また、

決して安くはないコンサルやセミナーを受けることで、

一種の覚悟が生まれますし、

身銭を切って投資することで初めて分かることもあります。

根本的な課題は一人ではなかなか解決できませんしね。


重要なことに集中する時間を確保することが、

今後、生き残っていくためのキーになるようにも思います。


ちっぽけなプライドと目先の利益を追うのは辞めましょう。


あなたは、根本的な課題を解決するために、

どのような打ち手を打っていますか?


(まとめ)

■根本的な課題を解決するためには、
まとまった時間を確保することが必要。

■定期的にOSを更新するが如く、
根本的な課題にフォーカスするための時間は
何が何でも確保しなければならない。

■先延ばし、先延ばしにすることにより、
被ることになる損害は計り知れないものがあるのではないか。

■ちっぽけなプライドと目先の利益に固執することは辞めよう。

何かのプロジェクトを進める際や

課題や悩みについて議論する際は、

まず現状をお聞きすることになりますが、

その際、注意している事があります。

それは、

お話頂いていることが、

「幹」の部分の話なのか

それとも

「枝葉」の部分の話なのか

ということ。


(私も含め)話す側になると、陥りがちなのが、

相手に事実関係を一から十まで理解してもらわないと

適切なアドバイスがもらえないのではないかという不安から、

「枝葉」の「枝葉」まで、お話してしまうというパターン。


確かに、

事実関係やその背景まで相手に理解してもらわないと、

「的」を得た議論ができない可能性があります。

そういう意味では、

細かい点まで相手にお伝えするというのは

正しいスタンスであるとも言えます。


しかしながら、

そうなってくると、

話の本筋、すなわち「幹」の部分が

見えにくくなるという弊害も出てきますね。


従って、

聞き手サイドでは、このような事情を考慮しつつ、

「幹」の部分の話か、

それとも、

「枝葉」の部分の話か、

ということを、

「意識して」聞き分けていく必要があるのではないかと思うわけです。


でなければ、

「枝葉」を「枝葉」と認識できずに、

話し手の文脈にどんどん引き込まれていく可能性があります。

そうなると、

なかなか「幹」の部分に戻れなくなり、

課題や悩みの本質には辿り着くことはできないでしょう。


「幹」を的確に捉えることができれば、

悩みや課題の本質にいち早く到達することができますし、

その結果、

様々な(経営)資源が有効に使われることにもなるとも思います。


ということで、

私自身も「幹」の部分を的確に捉えるために、

日々「意識して」いこうと思います。


(まとめ)

■話し手は、
課題や悩みについて話をする際、
事実関係や背景を全て話そうとすることが多いため、
「幹」の部分の話と「枝葉」の部分の話が濃淡なしに混在しがち。

■聞き手は、「幹」の部分の話か、
「枝葉」の部分の話かを注意して聞くことが大事であり、
そうでなければ、「枝葉」の部分に捉われて、
課題や悩みの本質が分からなくなる。

■普段から、
「幹」を的確に捉える訓練をすることで、
本質にいち早くたどり着けるようにすることが重要ではないか。

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