公認会計士高橋正哉の実践ブログ

企業のビジョン達成を社外CFOの立場から実現する一方で、独立会計士又は上場企業の社外役員として自らも経営の一旦を担う筆者が、会計・財務の専門分野に限らず、日々の活動から、企業経営や自己成長のヒントとなるような事項・想いを素直に、ありのままに、お伝えすることを目的として綴っているブログです。

2015年02月

■本日は、

7つの習慣で出てくる

「信頼残高」について

考えてみたいと思います。


■7つの習慣では、

継続的な預け入れによって、
高い信頼残高を維持しておくことが、

人との関係を円滑にするのに大事である

ということを述べていますが、

この信頼残高というものは、

「目に見えないもの」

であるため、

常に意識しておかないといけない。

そのように考えています。


■少々、

会計的な表現を使いますが、

信頼残高は、

借方残高(=資産)だけでなく、
貸方残高(=負債)にもなりうるもの

です。

少し油断したり、甘えがあると、

あっという間に信頼残高は
貸方残高(=負債)になってしまいます。

いわゆる、お世話になりっぱなし状態。

特に、私の場合、

家族に対しては、
知らず知らずのうちに、

信頼残高が貸方残高(=負債)になっている
ということがあるので、

気を付けなければなりません。


■また、信頼残高は

 金額では測定できない

ものです。

信頼残高が
金額で測定できるものであれば、

AさんのBさんに対する
信頼残高が借方残高の場合、

必ず、

BさんのAさんに対する
信頼残高は貸方残高になるはずです。


■しかし、

信頼残高は金額で測定できないので、

双方とも借方残高だと思っている
ケースなんていうのも十分ありうるわけです。

例えば、

自分は相手に与えているつもりでも、
相手からしたら迷惑ということも

ないわけでもありません。

それが、気持ちのすれ違いなどを
生じさせるようなことにもなります。

男女関係のように・・・


■つまるところ、

人間関係を良好に保つためには、

信頼残高を常に借方残高にしておくこと

これが大事なわけですが、

信頼残高は金額で測定できないのだから

自分が思っているよりも多くの預け入れを
継続的かつ圧倒的に行う

これくらいの気持ちを持っておく方が
良いのかもしれません。

私も高い信頼残高を維持できるように
引き続き精進して参りたいと思います。

今日はこの辺で。


(まとめ)
■信頼残高は、油断すると、
あっという間に貸方残高(負債)になるもの。
特に家族や近しい相手には注意。

■また、
信頼残高は金額で測定できないものなので、
双方とも借方残高であると認識しているような
ケースも十分考えられる。

■そのようなことを考えていくと、
継続的に預け入れを行う習慣は
もちろん重要であるが、
意図的に信頼を稼ぐ時期というのも
作った方が良いと思われる。

■昨日は、

プロが心得ておくべき倫理の基本、
社会的責任として、

「知りながら害をなすな」

ということをお伝えしました。

本日も続けます。


■案外、

知りながら害をなしているケースが多い

というのが私の感覚ですが、

社会問題となっているような事柄、

例えば、

粉飾決算、
車のリコール問題、
食品の産地偽装問題、
政治家のお金にまつわる問題、

など、その多くは、

知りながら害をなしてしまった結果、
起こってしまった問題

と言えるでしょう。


■つまり、

プロとして基本中の基本を
守らなかった(守れなかった)結果、

道を踏み外してしまった

と言えるのではないかと思います。


より踏み込んだ見方をすれば、

既に、

 業界としての常識が 
 知りながら害をなすもの

といったケースも少なくない。

そんな風に思われます。


■業界の常識は世間の非常識
 と言われたりもしますが、

「業界では当たり前」

なんて言葉が出てきたら黄色信号。

たとえ、

口(言葉)にはしなくても、
体が業界体質になっている

というケースも多いように思います。


■改めて考えてみると、

「知りながら害をなすな」

というのは、

小学校の道徳の授業で出てくること。

そんなことさえ守れない大人がたくさんいる

というのが、現状なのですから、

 当たり前のことを
 当たり前のようにできる

ことが極めて大事だと思うのですね。

今日はこの辺で。


(まとめ)
■社会問題となっている事柄は
知りながら害をなしてしまった結果、
起きているものが多い。

■よくよく考えると、
知りながら害をなすというのは、
小学校の道徳の授業でならったこと。

■当たり前のことを当たり前のように
「できる」ということが大事ではないか。


■昔から、

会計士という職業柄、

「プロとは何?」

ということを考えたりします。


■例えば、

▼顧客に期待以上の価値を与える人

▼顧客の利益にコミットしている人

▼当該分野で圧倒的な
 実績を兼ね備えている人

▼結果にこだわる人 などなど

色々な意見があり、いずれも

これらはこれらで、
全然間違っていない

と思うのです。


■しかし、

私自身が一番深く考えさせられるのは
ドラッカーが記したこちらの言葉。

少し長いですが・・・


↓↓ ここから ↓↓

プロにとって最大の責任は、

2500年前のギリシャの名医
ヒポクラテスの誓いのなかに
はっきり示されている。

「知りながら害をなすな」

である。

医者、弁護士、ビジネスマンのいずれであろうと、
顧客に対して、必ず良い結果をもたらす
との保証を与えることはできない。

「最善を尽くす
 ことしかできない。」

顧客となるものが、
プロたる者は知りながら害をなすことはない
と信じられなければならない。

これを信じられなければ、何も信じられない。

従って、「知りながら、害をなすな」との言葉こそ、
プロとしての倫理の基本であり、社会的責任の基本である。

↑↑ ここまで ↑↑


■いかがでしょうか。

「わかっていながら、
 お客さまの損失になるような
 ことはするな」

ということです。

自分にとって、

短期的には批判を浴びるとか
損失になるようなことであったとしても、

顧客にとって本当の利益

だと思うことはお伝えしなければならない。

顧客の長期的利益にとって
重要であると思うことは、

顧客との関係が終わりになってしまうとしても、

きっちりお伝えすること。

「そのような覚悟ができているか」

「腹を括っているか」

そんな風に解釈しました。


■実際のところ、

知りながら害をなしているケースというのは、

意外と多いように感じます。

プロたるもの、いかなる時も

知りながら害をなすことはあってはならない。

シンプルで当たり前のことかも知れませんが、

本当に出来ていますか?

ということです。

自戒を込めて。


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(まとめ)
■プロとは何か?という問いに対しては、
様々な回答があると思われるが、
その中で私自身響いているのは
「知りながら害をなすな」という言葉である。

■基本中の基本かも知れないが、
お客様の利益より自己の利益を
優先するようなことをしていないか。

■自分にとって不利益である場合にも、
はっきりお伝えする覚悟があるか。
腹を括っているか、ということが大事だと思う。
 


■昨日、


やる気に依存しないシステムを
稼働し続けることが

日々の生産性を上げるためには不可欠

というようなことをお伝えしたしました。


■具体的には、

「やる気」と「行動」を分ける

ということが大事であり、

やる気がなくても、

「ただそれだけのこと」

であって、

「淡々とやる」

ということを意識するのが良い。

そんなお話をいたしました。


■これに関して、

脳の構造から「やる気」の出るメカニズムを

ご教示頂きましたので、

ここでご紹介させて頂きます。

(Yさん、ありがとうございます!)


■脳には、

「やる気」を生み出す場所があり、
 脳の真ん中あたりにある

 側坐核(そくざかく)

という部分の神経細胞が働くことにより、

「やる気」が出るそうです。

この側坐核を自分でコントロールして
やる気を調節できればベストなのですが、

なかなか思うように活動してくれないとのこと。


■しかし、

やり始めてみると、やっているうちに、
側坐核が自己興奮して、集中力が高まり、

気分が乗ってくる

ということがあるようです。

言われてみると、

たしかに、その通りであり、

「やっているうちに
 気分が乗ってきた!」

なんてことは、よくあることです。


■脳のメカニズムについては、

よく知りませんでしたが、

「やる気」と「行動」を分けることで、

結果として、

側坐核を刺激して「やる気」を引き出している

という状態になるのですから、

ますます、

「淡々とやり続ける」

ことの重要性を再認識できました。


引き続き、

ひたすら淡々とやり続けましょう!


(まとめ)
■やる気は、
側坐核の神経細胞が活動することにより、
引き出されるものであるが、
自分の思うようには活動してくれないもの。

■しかし、
とりあえず始めて見ると、
そのうち側坐核が刺激され、
やる気が湧いてくるという構造らしい。

■だからこそ、
「やる気」と「行動」を分けて、
やる気がなくても、淡々とやる
ということが極めて重要なのである。


■日々、活動していると、

どうしても、

気分が乗らない、
やる気が出ない、

いうような時がありますが、

日々の生産性を上げるためには、
これらとどのように付き合うか

ということが重要になってきます。


■私自身が意識しているのは、

「やる気と行動を分ける」

ということ。

やる気が出なければ、
それはそれで置いといて、

気分が乗らなければ乗らないで
それはそれで置いておく。

そして、

やるべきことは淡々とやる。

ひたすら淡々と。

やる気が出ない、気分が乗らない、

というのは、

「ただそれだけのこと」

ばるべく

そのように捉えるようにしています。



■それから、

淡々とやるのが、苦しい時には、

「すぐに身に付いたものは、
 すぐに忘れ、

 なかなか身に付かない、
 手に入れられないものほど、

 後から自分を楽にする」

このように考えます。

そうすると、

潜伏期間が長ければ長いほど良い

ということになります。

実際にそうですしね。


■言うは易く行うは難し、

という面はあるかも知れませんが、

気分や、やる気に依存しないシステムを
自分の中で強固にしておくことが、

日々の生産性を下げないためには不可欠

そのように考えています。

今日はこの辺で。


(まとめ)
■やる気がない、気分が乗らない時には、
やる気と行動を分けて、淡々とやることに
フォーカスする。

■淡々とやることが苦しい時には、
すぐに身に付かないものほど、
後で自分を楽にすると考える。

■やる気に依存しないシステムを
作り上げていくことが日々の生産性を底上げする
ためには不可欠ではないか。
 


■最近、


ピーク・エンドの法則

というものを、

特に意識するようにしています。


■ピーク・エンドの法則とは、

「自分自身の過去の経験を、
 ほとんど完全にそのピーク時に
 どうだったか
 (嬉しかったか悲しかったか)
 ならびに、
 それがどう終わったか
 だけで判定する」

という法則を言います。

(以上、Wikipediaより引用)

つまり、

▼ピーク時の印象

と、

▼終わり方の印象

の2つが、

物事の印象を決定付ける
重要なファクターになるということ。


■私なりに

このピーク・エンドの法則から、

学ぶべきことを考えた場合、

「最後の詰めは
 徹底的にこだわる」

ということになります。

特にお客さまに対して、

価値提供するような場面では重要だと考えています。


■ともすれば、

最後の詰めが甘いがために、
今までの努力が水の泡

とまではいかなくても、

努力の総量に比例した評価を得られない

ということは往々にしてあります。


■私自身も最後の詰めが甘いがために

ご迷惑をお掛けしたという経験がありますし、

周りでそのような場面を見聞きすることもあります。

最後の最後で気をゆるめて

そのような評価を下されることだけは避けたいもの。


■だからこそ、

最後の最後は気を引き締めて事にあたるということが

大事になってくるわけです。

終わりよければ全て良し

という言葉もありますが、

経験則からしても概ね間違いないでしょう。

引き続き、

最後の詰めには徹底的に拘りたいと思います。


(まとめ)
■過去の経験は、
ピーク時の印象と終わり方の2つの要素に
大きく決定付けられるという
ピーク・エンドの法則というものがある。

■これを応用すると、
最後に最後にピークを持ってくれば、
相手に与える印象というものが
随分と変わってくるということ。

■ともすれば、
最後は気を緩めてしまいがちであるが、
終わりよければ全て良しという言葉にもある通り、
最後こそ徹底的に拘るようにすることが大事ではないか。


■最近、よく思うのですが、


共通言語を持つのは本当に大事だな

ということ。


■共通言語を持っていると、

コミュニケーションが円滑になりますし、

何より話が早い。

初めて会うような人でも、

いきなり深い話ができてしまいますし、

心から相槌を打てるような内容の会話が多い。


■ただし、

共通言語といっても、

単なる業界用語のようなものを指すのではなく、

その言語の奥底に潜んでいる

「共通の価値観」

といったものが、

存在することが極めて重要。


■例えば、

短期より長期
あり方が大事
ご縁が大切
場が大事
感謝、配慮、笑顔 など、

互いの土台が同じだと、

そこから繰り広げられる会話も、

非常に実りのあるものとなります。


■逆に、

共通言語や共通の価値観を持たない人たちが

集まると、

生産的な会話というのは期待できません。

そもそも、

向かっているベクトルが違うのですから、

話がかみ合うはずもないのです。


■全く異なる分野でも、

トッププレイヤーたちが、
心を通わすように対談しているのを、
雑誌やテレビで見ることがありますが、

これも

分野を超えた共通言語のようなものがあるから

ではないかと思います。


■そのように考えていくと、

たくさんの人が集まるような、
会社組織などにおいても、

どのような共通言語を持っているか

ということが、

極めて重要なってくるように思われます。

それが、

一つの生命体としての
組織力を底上げするのに不可欠

そんな風に思います。


(まとめ)
■共通言語を持っていると、
初めてお会いするようなケースでも、
非常に話が早いと感じることがある。

■共通言語と言っても
単なる業界用語のようなものではなく、
その奥底に潜んでいる共通の価値観が大事。

■一つの生命体としての組織力を
底上げするためには共通言語が
必須のように思われる。
 

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